信じること。
人を信じようとするとき
必ずと言っていいほど
その人に裏切られてもいいかを考える。
裏切られても憎まないでいられる人を
信じる癖がある。
それは
信じることは自己責任だから。
「信じていたのに、どうして?!」
なんてセリフは
「信じる」という
能動的な行動を否定する
相手への要求。
「私は信じているのだから、それに見合った行動をしてよ」
となることは、
単なるわがままである。
誰かを信じるのは自由。
そしてその誰かに
裏切られたとしても
相手のその裏切りは
相手の自由だと思う。
信じると同時に
「相手が裏切られないような自分になる」
というのも
なかなか正しくも面白いと
個人的には思っている。