FULL MOON

万人のための価値ある自分になろうとしなくていい。

たった一人にでもいいから、その人に対して『あなたがいてくれて本当に良かった。出会ってくれて有り難う』と言える自分でいたい。

本気で、たった一人の人の人生で、一瞬でも『あぁ、自分は此処にいて良かったんだ』と思わせられたら、それだけで自分の価値がある。

全てに価値がある。全てに意味がある。

グレーゾーンなのか、はたまた透明なのか

今現在の自分の価値観と立場との溝を埋めるべく、


やっぱり明日はUX会議に行こうとは思う。


しかしながら、最近再発した不安症がおっそろしい。


新幹線は平気だが、人ごみは怖い。


新規に出会うのは平気だが、知り合いには会いたくない。


パートナーは心配しているが、私を応援してくれている。


と、しても、自分の衝動が起こらないのか、ひたすら心配している。


自分を苦しめる行動に出たら即アウトだ。


今現在の自分のもろさと向き合おうとした時、


一人じゃ太刀打ちできないとも分かっている。




でも、HPを拝見したところ、結構楽しめそうだとも思う。



自分の価値観と存在意義、そして方向性と羅針盤。



心のコンパスとか、歌ってたな。



まずは明日、起きられるかが心配だ。

ひきこもりUX会議

今週末に大田区であるそうな。




ぼくは出るべきかどうか。





さぁ、ゆっくり考えよう。





まだ時間はある。

生きづらさ2

私の生きづらさ――


先日の記事で書いたとおり、


私は「甘えられない」「頼れない」という生きづらさを抱えています。


そして、そこにさらにある生きづらさについて、今日は記述しようと思います。



あくまで私個人の意見であって、これを見られる方々がどう考えるかまでは推測できませんが、共通なものがあるとしたら、「私一人じゃないんだな」って思えると思います。




私がもつ生きづらさ。


「外見で判断される」という点です。


私と接する人は、私の本質と特性、そして私自身の価値観がなぜ形成されたのかを見抜く人はいません。


それは、私自身が隠してきた、というより、


私が他者の気持ちを汲んできたために創った「人にとって心地いい人像」がそう思わせるのだと思います。


「話しやすい人」


「安心できる人」


「頼れる人」


「会いたいと思う人」


「素敵だなって思われる人」


など、社会で出回る意見や本で言われているようなことを


私は自分の身近な人たちより学び、


それが身につきました。




身につきました、というよりは


身についてしまった、というほうが正しいのかもしれません。



自分自身がずっと誰かの助けを必要とし、


「こんな人だったら話せるのに・・・」


という人になる努力をしてしまったのは事実です。



その結果、自分の生きづらさをさらに膨張させるとは、


10代のころは思ってもいませんでしたが。




経歴だけで言えば、今に至るまで、


比較的問題なく生きてきていましたが、



単に言わないだけで、


心の内はカオスだったり、



単に話せないだけで、


心身ズタボロ状態だったり。。。




気づいてもらいたいけど、


「この人(私のこと)は本当はこういう人だから相談できない」


って思うような人には話せないし


相談したいけど、


「(相手の心情で)今大変な時期だけど、しっかり話し聴いてあげなきゃ」


なんて迷惑かけたりはしたくない。




そんなことを考えて生きてきているから、


生きづらさは膨張し、誤解され、非難されるハメになる。




私の立場は「若者の支援者」であるが、


私は支援者感覚が皆無だし、


ひきこもり当事者でもピアサポーターでもないし、


私の立ち位置はグレーゾーンなわけで。。。




だからこそ悩む。




周りの支援者の、しかも上の立場の先輩方に


私の支援者として在り方を今問われている。


悔い改めなくてはならない行動はある。


ただ、根底にある価値観を「支援者はこうあるべき」みたいに


正されることは不本意過ぎる。




ひきこもりや就労困窮者など「当事者」と呼ばれる人と


「支援者」と呼ばれる人は違うんだって言われることや


その価値観を押し付けられるのは、


その理由・考え方・背景・状況・・・どれをとっても


理解できる流れ。




だとしても、納得できない。




生きづらさがあるから、


生きづらさを抱えている人に寄り添いたいって思っているわけじゃない。




生きづらさを抱えながらも私を助けてくれる人がいたし、


私を大切にしてくれた他者がいたから


私はその恩を世に返したいだけ。





ただ・・・


私のこんな感覚は


きっと全てを話さないとわからないんだろうな、とも思う。



でも・・・


絶対に話したくないとも思う。




見せかけの・表面上の言葉でその場を丸く収めるのが大人だとしたも、


相手が求めていることを受け入れることが大人の対応だとしても、


上手くそれを受け入れられない。




生きづらさを他者に言うこと、晒すことは


自ら殻を破らなくてはならないことで、


その力や元気が


今の私に無い。








今週土曜日は東京に繰り出そうと思う。


現実逃避のような、自分探しのような。


そんな時間にしようと思う。