FULL MOON

万人のための価値ある自分になろうとしなくていい。

たった一人にでもいいから、その人に対して『あなたがいてくれて本当に良かった。出会ってくれて有り難う』と言える自分でいたい。

本気で、たった一人の人の人生で、一瞬でも『あぁ、自分は此処にいて良かったんだ』と思わせられたら、それだけで自分の価値がある。

全てに価値がある。全てに意味がある。

居場所

居場所――。


自分の居場所がない、とか


本当の自分を出せない、とか


そんな相談を受けてきた。



居場所――。


安らげる場所?


承認欲求が満たされる場所?


情報共有や共感して・される場所??



あなたにとっての居場所ってなんですか??

自分の生きづらさと向き合ってない

師匠にはっきりと言われた。


私は自分自身の生きづらさに向き合ってない、と。
自分を向き合おうとしていないと。


「いいこちゃん症候群」


自分自身の生きづらさに向き合うことは、私にとって、自分を今まで保ってきた支えの崩壊に等しい。


自分自身が「いいこちゃん」でいた自覚はある。


空気を読み過ぎたり、
言葉の裏側を読み過ぎたり、
本当の気持ちなんかは無視するのは当たり前だった。


パートナーに本音を言うことさえ渋る。




私の本音を言えば、相手は本音を言えなくなる。


私の悩みを言っても、相手はそれを解決できない。


言ったところでそれは聴いてもらうだけ。


それならば言わないほうがいい。


悩みを言ったとして、それを解決する糸口をつかむどころか、相手が私に相談できずに一人で悩み続ける原因になるのなら、私は話せない――。


それが私自身の生きづらさ。




「誰かに話せばいいでしょ」


「誰か絶対助けてくれるって」


「大丈夫だよ。聴いてくれるよ」



そんなこと投げかけられたとしても、私は空笑いするだけだった。


本当に聴いてほしい人の状況は分かってる。


本当に見てほしい人の状況は分かってる。


表面上のありきたりな言葉なんかいらない。


本当に思っていたとしても、その思いがあったとしても、
相手の余裕がないときに邪険にされたら、
きっと二度と話せなくなる。



私の生きづらさは、


頼れない・甘えられない。


信頼していても、表面上は仲良く甘えることができても、


絶対に泣きついたりできない。



それが生きづらさ。



「絶対味方だよ」と言われても、
「絶対助けるからね」と言われても、
そんなこと有るはずない。


そこに甘えてその先に負担や迷惑になるのならば


最初から言わない――。




好きでいいこちゃんになったわけじゃない。


いいこちゃんから抜けられたらどんなに楽かとも思う。


もっと自分勝手に、もっと自由に生きられたら・・・・。




だけど守るものがある。支えなきゃいけない人がいる。


一人じゃないからこそ、自分を出せない。




いいこちゃんをやめなければ生きていけないとしたら、
きっと私はもう死んだも同然だったんだろうと思う。


未だにわからない。




生きづらさ

生きづらさ――


近年、ちょっとしいきたことから私の周りにいる人たちの生きづらさに触れる機会が増えた。


生きづらさを自覚している人の数が増えた。


実際、私自身生きづらさは抱えながら生きてきた。


感受性が豊かだとか、責任感が強いとか、共感力があるとか――


他人が私を表現する言葉は比較的ポジティブなものであった。


有難いことに、私は縁と人に恵まれて生きてきたと自負している。


だからこそ、私を表現する言葉は他者からの愛情深いものが多かったと思う。



その一方で、


私には他人に言えない秘密が山ほどある。


誰でも抱えているのかもしれない秘密。


9割知って受け止めてくれるパートナーはいるが、そのパートナーも私から見たら生きづらさを抱えて生きている。


日々、パートナーの生きづらさにも触れる。


仕事でも、生きづらさを抱えている人と関わる。


そのたびに思う。


『なんだこの世界は?』


誰もが生きづらさを抱え、


誰もが生きづらさに苦しみ、


誰もが助けを求めたままでも表に出しづらい社会。



『なんだこれ?』


ただただ思う。



どうにかしたいのにどうにも出来ない。




でも、どうにかしようとすると


それを仕事にしようとすると、


『支援者』と呼ばれる。



助ける側と助けられる側???



なんだそれ。



支援者として生まれた人なんかいないわ。



生きづらさがありますよ~~~って自覚して生まれてきた人なんかいないわ。




結果論。




この社会だから結果こうなった。・・・・だけ。





ユニバーサルな社会ってなんや。




誰もが生きやすい時代っていつや。




わからん。







私は社会に適合させようと動くのは好きじゃない。


社会のエスカレーターから落ちた人は階段昇って追いつけってか???


けもの道でもいいから、自分の道を作ったら楽しいじゃん。


案外すんごい景色見えるかもよ。





生きづらさがあるならば、


それが強みな生き方にすりゃいい。


同じ道が無理でも、自分で作った道なら近道になるかもしれない。







あきらめたくない、まだ。